イチローから学ぶ上達と成功の極意
こんにちわ、よってぃんです
今回のテーマは
【イチローから学ぶ
上達と成功の極意】
のご紹介です
もはやこの日本で
イチロー選手を知らない人は
いないと言えるくらい
有名な選手
日本球界を引っ張るリーダーとして
また、大ベテランとしても
未だに活躍の場を広げる
天才の中の天才です
近年、夢の舞台メジャーリーグへと
旅立った大谷翔平選手にも
引けを取らないその才能
衰えることを知りませんね
メジャーでは一回りくらい
年下の大谷選手と仲良く
やっているとの報道が度々流れ
仲睦まじい姿が見えます
長らく在籍チームが決まらず
右往左往していたようですが
ようやく決まりそのチームは
シアトル・マリナーズでしたね
そんなイチロー選手が
まだ日本の野球界にいた時の
ことを見ていきましょう
オリックス入団
イチロー選手のプロとしての幕開けは
オリックスバファローズでした
(当時はオリックスブルーウェーブ)
イチロー選手はドラフト4位で
オリックスに指名され
プロの生活がスタートします
イチロー選手は愛知県生まれで
元々地元の中日ドラゴンズのファンで
中日に入団したい希望を持っていた
しかし元々投手だったイチロー選手を
中日のスカウトは
「プロとして体が出来ていない」と
評価し五位指名を予定していた
イチロー選手の父銀一さんも
中日が指名してくれればいいと
思っていたがオリックスが
四位指名を強調したため
中日への入団はなくなり
オリックスへの入団となりました
しかしイチロー選手はその後
頭角を現し始め同世代や先輩
並み居る実力ある後輩達でさえ
達成することが出来なかった
プロ野球における
通算安打世界記録保持者という
名誉ある肩書きと
さらにはその後、夢の舞台
メジャーリーグでは
という世界最高峰の名誉を手にします
幼少期からプロまで
上述した通りイチロー選手は
愛知県西春日井郡山町生まれ
高校は愛知工業大学名電高等学校
を卒業しています
小学生では地元の少年野球チームに
所属しエースで四番だった
父銀一さんと毎日練習し
学校終わりや休みの日など
キャッチボールなどをして
野球漬けの日々を送りました
しかしそれだけでは物足らなくなり
毎日のようにバッティングセンターへ
通いつめ、偶然地元が一緒だった
元日ハムの稲葉篤紀選手は
「バッティングセンターで物凄く
速い球を打っている子を見たことが
あった」
とイチロー選手の幼少期を
語っていました
そして小学時代の仲間と共に
中学の野球部へ所属し
そこでもエースだったという
中学時代では
全日本少年軟式野球大会へ
出場し3位入賞を果たし
複数の高校からの推薦を受けたが
地元愛知県の名電高等学校へ
進学する
高校時代にも注目を浴びる
選手だったがここで悲劇が襲います
自転車で通学中に車と接触し
投手としての道が閉ざされてしまい
野手としてプレーすることを
余儀なくされます
しかし天才イチロー選手は
野手に転向してもその才能を
発揮しプロではもちろん
あのメジャーリーグで
日本で唯一通用した打者にまで
上り詰めたのです
イチロー流成功術
これまで日本のトップに
い続け日本の宝として
アメリカで野球をしている
イチロー選手
彼は周りが天才だという中
それを否定する発言を
何度か繰り返し言っています
今の自分があるのは周りや
仲間のおかげであり、何より
小さい時からプロになるという
目標を持って努力してきた
何より野球が好きだったこと
これが一番大きいのだと
野球界のあらゆるレジェンド達でさえ
イチロー選手を天才と称する中
当の本人はそれを認めない
何より自分に厳しく
野球と接してきたからこそ
今の自分があるんだと
イチロー選手は決して特別な
練習をしていたわけではありません
今日今この瞬間から誰にでもできる
素振りやキャッチボール
バッティングセンターへ行って
打撃の練習をするなど
誰にでも出来て誰にでも
思いつく練習しかやっていないんです
ただ他人と違うのは
そのかけ離れた練習量と
野球への愛です
人と同じ練習量じゃ物足りなくなる
くらい野球が好きだった
きっとイチロー選手の中では
上手くなるために練習をしていた
というより野球が好きだから
やっていたかったのかもしれません
野球に限らず成功者って
みんなそうですよね
何かが好きで打ち込んで
その結果、大きく大成する
成功の極意とはどれほどまでに
自分がそれを好きでいられるか
だと思っています
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