メジャーで大活躍中!大谷翔平の大リーグまでの道のり
こんにちわ、よってぃんです
今回は【メジャーで大活躍中!
大谷翔平の大リーグまでの道のり】です
今年から世界最高峰の舞台
大谷翔平選手
これまで幾多の名だたるプロ野球選手が
メジャーリーグへ挑戦していますが
打者として母国アメリカの野球に
通用したのはイチロー選手だけ
しかし我らが和製ベーブルースは
その頭角を現し始め
第2のイチローと呼んでもいい程に
メジャーで通用しています
まさに日本球界の宝に相応しい
実力と才能を持った選手ですよね
今回はそんな大谷選手の
大リーグまでの道のりを
高校球児時代から振り返って
見てみたいと思います
では早速行ってみましょう
花巻東時代
大谷選手の母校は東北の強豪
花巻東高校
現西武の菊池雄星投手も
花巻東のOBです
プロ選手を生み出している
強豪校の1つですね
大谷選手は菊池雄星選手に
憧れていたそうで
「8球団から一位指名を受ける」という
目標を掲げていたそうです
1年春の時は監督の意向もあり
投手ではなく野手として起用され
一年生ながら4番右翼手として
試合に出場していました
同年の秋からはエースを務め
一年生で147/kmをマークし
二年生で151/kmを記録し
みちのくのダルビッシュと呼ばれました
さらに二年生の全国野球選手権では
高校二年生最速記録タイ150/kmを記録
そして知る人ぞ知る三年夏の
アマチュア野球史上初の160/kmを
叩き出し話題となりました
しかし残念ながら甲子園を制覇する事は
叶えることが出来なかったようです
大谷選手を有する当時の花巻東でさえ
アマチュア野球史上初の160/km投手でも
優勝することが出来ない甲子園って
本当に夢の舞台であり厳しい世界ですね
プロ入りまでの物語
花巻東高校を卒業した後、
大谷選手はプロ野球界から
多数の指名やスカウトを受けて
いたことを明かしています
それと同時にメジャーリーグからも
声が掛かっており大谷選手が出した答えは
「日本のプロ野球にも憧れがあったが
メジャーの方が憧れが強かった」と
高卒でメジャーへ行く事を表明
プロ野球界へは行かないとしました
しかし北海道日本ハムファイターズの
GM山田正雄氏が大谷選手を
その年のドラフト会議で一位指名
交渉権を獲得しました
これには他球団も驚愕
さらに日ハム栗山英樹監督も
「大谷君には申し訳ないけれど
指名させて頂きます」と
大谷獲得に向け動いていました
メジャーへ行くという大谷選手に
日ハム側は面談や指名挨拶などを
使って四度に渡る直接交渉に及びました
3度目の面談の際には栗山監督も同席し
とある韓国の高卒でメジャーへ行き
活躍できなかったプレイヤーを例に挙げ
日ハムで経験を積んだ方が得だと説明し
投手と打者の二刀流育成プランなどを
提示し話し合いを続け
交渉の末に契約金1億円と
出来高払い5000万、年俸1500万で
大谷選手と契約を結びました
そうした経緯があり日ハムの
大谷翔平選手が誕生したのです
日ハムってその年のドラフト一位候補を
獲得する率高くないですか?笑
清宮幸太郎君も獲得しましたし
パ・リーグの一強になりつつあります
二刀流への是非
プロ野球選手初となる二刀流選手に
レジェンドや評論家たちは賛否両論
二刀流となった大谷選手は
史上初の投手で先頭打者ホームランを
記録したりメリットしかないと
思っていましたが
どちらか片方に絞った方がいい
という意見などが挙げられ
賛成意見はあまり見受けられませんでした
それでも二刀流でプロに通用し
メジャーでも通用してしまえば
栗山監督や大谷選手の決断は
間違っていなかった証明になります
是非打者としても投手としても
活躍してほしいですね
二刀流のメジャー挑戦
日本球界の宝「和製ベーブルース」は
二刀流を武器に世界最高峰のプレイヤーの
野球の聖地「メジャーリーグ」へ
挑戦しにアメリカへ渡りました
渡米前はメジャーの各球団から
交渉を持ちかけられていましたが
ロサンゼルス・エンジェルスに入団
メジャー最初の試合では
目立った活躍はできずファンからは
不安視される声がありましたが
環境にもメジャーリーガーにも慣れ
持ち前のバッティングで本場の人を
驚かせる活躍を見せつけました
相手は世界トップレベルの選手ですが
瞬く間にメジャーのヒーローに
なるその日は近いかもしれませんね
ではでは今回はこれにて終わりです