斎藤佑樹がプロで全く通用しなくなった3つの理由!ハンカチ世代のNo.1エースに何が?
こんにちわ、よってぃんです
今回は【斎藤佑樹がプロで通用しなくなった
本人も気が付かない3つの理由!
ハンカチ世代のNo.1エースに何が?】
のテーマです
1988年生まれのプロ野球選手には
数々のスター選手がいます
現メジャーリーガーでいうと…
どちらも日本を代表する二大エースです
さらにプロ野球界では活躍を見せる
など球界を代表するビッグネーム達が
上記に挙げた選手の他にも一学年に揃う
奇跡の世代でもあります
そして高校時代、この同世代の選手の中で
ズバ抜けた人気と確かな実力で
世代No.1の座にいたのが斎藤佑樹です
"ハンカチ世代"とも言われています
まず高校時代の斎藤選手といえば
早稲田実業を史上初全国制覇へ導いた
世代最強右腕で最後の夏である
2006年の甲子園決勝戦では
世代最強の座を懸けて
マー君と2度に渡る熱戦を繰り広げました
さらに当時、大阪桐蔭の二年生だった
現チームメイトの中田翔なども下し
激闘の世代の甲子園を制しました
高校卒業後は周りの同世代が
プロの世界へ進む中、斎藤は
早稲田大学へと進学し
6大学リーグで現役最多の26勝を挙げます
一方、プロへ進んだ同世代の仲間達は
日本球界最高峰の舞台で活躍し
記録を打ち立てていきます
こんなに活躍する世代のNo.1だった
斎藤はどれだけ凄いんだと話題になり
彼のプロ入りは騒がれに騒がれました
その人気度は彼が入団前に放った
「何か持っている」という言葉が
流行語大賞特別賞に輝くほどでした
そんな斎藤はプロ一年目
6勝を挙げ、2年目では日ハムの絶対エース
ダルビッシュ有がメジャーへ行った事で
空いた開幕投手の役目を務めました
それまで日ハムでは5年連続で
メジャー移籍後、プロではエースナンバーと
される18をつけた斎藤が務めました
しかしその年の6月から成績を落とし
その背景には肩の怪我がありました
怪我による成績不振もあると思いますが
斎藤がプロで通用しなくなった
"3つの理由"の1つ目…それが
フォームの変化
高校時代の斎藤のフォームと
プロに入ってからのフォームを
よーく見比べてみると
「打てるもんなら打ってみろ」という
強気な姿勢が感じられ体全体で
投げていた高校時代に比べ
プロに入ってからは体が小さくまとまり
フォームが小さくなっているのが分かります
フォームの変化の理由については
諸説ありますが僕はとある解説者が
言っていた事がドンピシャな答えだと
思っています
斎藤の高校時代は人気が出始めで
まだ周りからのプレッシャーや圧など
そこまでではなかった
だから全力で投げられた
その全力さがあったからこそ
あの強気なピッチングが出来たんだと
そう思っています
しかし現在の斎藤はどうでしょう?
マー君に勝った頃から実力が認められ始め
ハンカチ王子やプロからの期待、
世間の人気などが斎藤にはのし掛かった
人気になる一方で一度負ける事で
「たいした事ないか」と思われて
しまうのではないか?という不安と
過度な斎藤への期待心が
斎藤を消極的にしてしまった
ミスしたらいけない
負けることは許されない
そういった試合とは別のところで
彼は戦っていたんじゃないでしょうか?
プロに入ってからみるみる成長し
成績を残したり記録を打ち立てたり
活躍すればするほど
斎藤への期待心は高まる一方でしたよね
それにマー君が日本最後に成し遂げた
驚異の連勝記録などがNo.1だった斎藤を
苦しめてしまっていたのかもしれません
それ以外にも斎藤はちょいちょい
天狗になっていたことがありました
「周りの声援がないと投げられない」など
斎藤人気が生んだ慢心があったため
あまり努力をしてこなかったんじゃ
ないでしょうか
そして2つ目が
練習嫌いという噂
これも天才が故の仕方ない事なのかも
しれませんが斎藤はチーム内でも
練習嫌いで有名だったそうです
特に騒がれて入った一年目は
あまり練習しなかったと言われています
そのあまりの練習嫌いさに
あの日ハムの兄貴分だった
ダルビッシュも見放した程
プロの世界では
「もっと練習すれば怪物になったのに…」
という選手がちらほらいます
例えば"番長"清原和博
彼ももっと練習さえしていれば
さらに記録を残せたと言われています
唯一Mr.の血を引く長嶋一茂
今やタレントとなった長嶋一茂ですが
あの落合さんから「もっと真面目にやってれば
親父を超えられたのに」と賞賛の声
あのプロ野球のレジェンドである
長嶋茂雄を超える存在になるほどの
逸材も練習嫌いで有名でした
やはりプロの世界ですね
努力を忘れた選手に成功はないと
斎藤選手も今一度初心に帰って
1から野球をするのもありかもしれませんね
全盛期は高校時代
斎藤佑樹がなぜプロで活躍できない?
そう人に尋ねると大体帰ってくる答えが
「ピークが終わっている」
という無慈悲な一言
斎藤が輝ける刻は高校時代で
終わっていたということです
言い方は悪いかもしれませんが
高校球児には通用するが
プロでは通用しない投手
ということだったのかもしれません
いくら甲子園といっても
高校生によるアマチュアの全国大会
まだ才能が開花する前の選手や
才能はあるが経験不足で未熟な選手や
まだ成長段階の選手が大半の高校野球でしか
通用しなかった
つまり斎藤佑樹という投手は
高校時代に完成されていた
ということなのかもしれません
マー君との差が開いたのも
まだ荒削りだった駒大苫小牧時代は
成長段階にあった
少し上のレベルだったということ
成長段階にあったマー君はどんどん伸び
完成された斎藤は劣化の一途を辿った
それが2人の差を広げた要因だと思います
終わりに
少し言い方が悪くなってしまいましたが
僕は斎藤選手の復活を望む1人のファンです
復活するためにはまず原因を探る
それが必要になってくると思います
斎藤選手がなぜ活躍できず
数字を残さないのか?
まずは調子云々ではなく
一から見直すことも大事かもしれません
1日でも早く高校時代のような
輝きを放つ佑ちゃんを見てみたいですね
では。
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