蘇った平成の怪物【松坂大輔】中日での第二のスタート
こんにちわ、よってぃんです
今回は野球界において
平成の怪物と異名をとった松坂大輔選手
について軽ーく話していきます
今現在のプロ野球界を担うのが
平成の怪物と呼ばれた松坂を中心に
プロでも通用する選手(投手が多め)が多く
総じて松坂世代とも言われている
松坂大輔プロフィール
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高校〜プロ〜メジャー
- 横浜高等学校 (高校時代)
- 西武ライオンズ (プロ時代)
- ボストン・レッドソックス (MLB時代)
- ニューヨーク・メッツ (MLB時代)
- 福岡ソフトバンクホークス (帰国後)
- 中日ドラゴンズ (現在)
詳しい概説
父は北海道稚内市出身で
(現在の外ヶ浜市)
弟の恭平は元プロ野球選手で
の愛媛マンダリンパイレーツの元プロ
松坂の妻は元アナウンサー柴田倫世
2005年に長女が生まれ
その三年後2008年に長男が誕生
2010年には次女も授かっています
松坂大輔の「大輔」という名前は
1980年代に高校球界で有名になった
(Wikipediaより)
生まれた時から野球に関連した
名前をつけられ平成の怪物は
育ちました
しかし5歳から小学3年までは
剣道をやっていたようで
いつかのインタビューの質問に
「どうすれば球が速くなりますか?」
という問いに対して
「剣道をやれば背筋と手首を
鍛えられていいですよ」
と答えていることから
剣道経験者から見る野球の練習法や
剣道が好きだったことが分かります
その後は小学三年から野球を始め
江東区の東陽フェニックスへ入団
中学時代には江戸川区の江戸川南リーグ
(リトルリーグ)に在籍し
小谷野栄一選手とチームメイトだったそう
有名になった高校時代
高校時代には帝京高校へ内定が
決まっていたがシニア日本代表にて
知り合った小山良男に誘われて
横浜高校へ入学
高校時代は「サボりのマツ」と
呼ばれるほど練習嫌いであったが
二年生の時の神奈川県大会準決勝の
vs横浜商業高校戦で自身の暴投による
サヨナラ負けを喫したことで
その日から猛練習に励むようになる
(ダイヤのエースの成宮を思い出す
エピソードですよね…
成宮も自分の暴投がきっかけで
三年生の夏を潰してますから)
三年生の時には150km/h以上を出し
鋭い切れ味を誇るスライダーを武器に
超高校級の投手としてこの時から
平成の怪物と呼ばれるようになりました
そしてこの時、バッテリーを組んでいたのが
今は芸能界にて活躍する上地雄輔さんです
(ROOKIES 江夏卓 役の時)
上地さん引退後は小山良男さんと
バッテリーを組んでいました
1998年に行われた
第70回全国高等学校野球大会では
他を寄せ付けない強さで優勝
松坂の最後の夏となった
第80回全国高等学校野球選手権大会では
準々決勝で春の大会で破った
当時甲子園最強のPL学園との
延長17回にも及ぶ大接戦の末に
約250球を完投し勝利
翌日の準決勝、明徳義塾戦でも
1イニングから登板し疲れを見せず
逆転劇を呼び込みました
嶋清一以来59年ぶり史上2人目の
圧倒的な活躍を見せ春夏を連覇し
当時、後に入団することになる
レッドソックスのスカウトも
観戦しにきていたという
西武時代
1998年に行われたドラフト会議で
指名順位1位で日ハム、ベイスターズ
西武の3球団競合の末、西武が交渉権を
獲得し平成の怪物は西武ライオンズへ入団
1999年4月7日のプロ初登板となった
東京ドーム日本ハム戦では
一回に片岡篤史へ投じた一球が
155km/hを記録
8回2失点で勝利し
華々しいデビューを飾りました
その年の前年にパリーグにおいて
選球眼を誇っていた片岡を
この155km/hの球でねじ伏せる姿は
まさに平成の怪物を彷彿
同年4月21日の千葉ロッテマリーンズ戦では
黒木知宏と投げ合い0-2で惜敗
試合後のインタビューでは
「リベンジします」と強きな発言をし
4月27日のロッテ戦で再び黒木と投げ合い
1-0で勝利、リベンジを果たした
この松坂の「リベンジ」発言は
同期で入団した上原浩治の「雑草魂」
と共に話題になり流行語大賞にノミネート
さらに5月16日のオリックス戦では
あのイチローと初対決を繰り広げ
三打席連続三振とほぼ完璧に抑えた
史上最多となる5奪三振を達成
2006年に行われたWBCでは
勝利投手となっている
プロでも通用した平成の怪物は
遂に全世界の野球人の夢の舞台
メジャーリーグへと旅立ちました
レッドソックス時代
WBCが行われた2006年11月15日に
ボストンレッドソックスが
5111万1111ドル11セント(当時で約60億)で
単独交渉権を獲得したことが発表される
しかし代理人のスコット・ボラスと
レッドソックス側の交渉は難航
交渉期限間近でスコットは松坂の意思を
尊重し6年総額5200万ドルで契約
4月5日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で
メジャー初登板し7回を6安打1失点10奪三振
を記録しメジャー初勝利を挙げた
11日の本拠地でシアトル・マリナーズ戦では
プロ以来の対戦となるイチローと
メジャー初対決、4打数無安打に抑え
メジャーでもイチローに勝利した
さらに27日のニューヨーク・ヤンキース戦
松井秀喜と対決し2打数無安打に抑えるなど
日本球界のレジェンドたちに対しても
メジャーで勝利する姿が目立った
この時、自身最高記録となる
158km/hを記録しています
メジャーでも通用した松坂
そんな彼に悲劇が起こります
怪我を繰り返し故障者リストに
入ったり出たりして最終的には
メッツで終えたシーズン後に
フリーエージェントとなり日本へ帰国
日本球界へ
メッツから帰ってきた松坂は
ソフトバンクと3年12億の大型契約で
プロ野球界へ復活
しかし右肩の筋肉の疲労や
怪我の治療などで戦線離脱
2016年のシーズンで最終戦となった
楽天戦で約10年ぶりの一軍登板で
投げたのが最後となりその後
ソフトバンクで一軍マウンドから姿を消した
その後も怪我のため出られない日々が増え
11月5日にソフトバンクを退団
それから中日ドラゴンズが
入団テストを行うことを発表し
ナゴヤ球場にてテストを受け
昨日合格し中日へ入団
西武時代の松坂をコーチとして
知っていた中日の森繁和監督は
「やりつくすまでやればいい」
と後押ししたとされています
そして松坂はようやく復活を遂げ
近日行われたソフトバンク戦では
強打者柳田悠岐を抑えたり
全盛期の頭角を現し始めました
平成の怪物が復活した瞬間ですね
これからも活躍してほしいです
中日に来たからには復活してほしい
そう願うばかりです
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