偉大なる天才スラッガー落合博満。どん底から這い上がった男

 

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こんにちわ、よってぃんです

 

 

今回は僕が尊敬してやまない

伝説の三度の三冠王落合博満

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についてお話していこうと思います

 

 

異端者として一部の人間からは

妬み嫌われる落合さんですが

 

 

彼が残した形跡言葉

何人もの選手を救ってきました

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それは落合さん自身、何もない

どん底の場所から頂点へと

駆け上ったからこそ

出来た偉業や発言なのかもしれません

 

 

 

落合さんの考えや練習法を学べばきっと

 

 

今のアナタの打撃力向上に

きっと繋がるはずです

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目次

1. 落合博満とは

2. 史上初の三度の三冠王

3. 代打で始まった天才の野球人生

4. 中日GM時代の俺流野球

5. 落合博満の名言

 

 

 

 

1.落合博満とは

 

 

落合博満 1953年12月9日生まれ

秋田県南秋田郡若美町(現男鹿市)出身

プロ野球選手 内野手右投右打

 

1979年から1998年にかけ

ロッテオリオンズ中日ドラゴンズ

→読売巨人→日本ハム

 

 

日本プロ野球界史上で

唯一無二の三度の三冠王に輝き

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監督として就任した中日ドラゴンズ

全ての年でAクラス入りを果たし

四度のリーグ優勝 一度の日本一に導き

当時の中日の黄金時代を築き上げた

 

 

1953年七人兄弟の末っ子として生まれ

プロ野球界伝説の男、長嶋茂雄に憧れ

野球を始めフォームなどを真似ていた

 

 

高校は甲子園常連校の体育会の風潮を嫌い

無名の秋田県立秋田工業高等学校へ入学

 

 

しかし予想していた雰囲気とは違い先輩からの

理不尽な扱いに耐え切れなくなった落合は

 

 

野球部を退部

 

 

野球部に在籍していたころは周りや先輩と

仲良くしようとしなかった落合

 

 

練習にも参加せず好きな映画を見ていたという

しかし落合ほどの選手がいなかった野球部は

試合が近づくたび落合を説得し試合で復帰をしていた

ほとんど練習せずに四番を打っていたという

 

 

東洋大学に進学後も先輩後輩関係に嫌気が差し

野球部を退部。アルバイト先のボウリング屋で

ボウリングに目覚めプロボウラーを目指すも

プロ試験日にスピード違反で捕まり受験できずに挫折

 

 

そこで高校のときの恩師に

東京芝浦電気を紹介してもらい

工場で働き始めました

 

 

その工場の社会人野球チームで

年間70本のホームランを放つなど

天才の頭角を見せつけ

 

 

 第25回アマチュア野球世界選手権

日本代表選出されました

 

 

そしてついに1978年のドラフト会議で

ロッテから三位指名を受けプロ入団

 

 

現役引退後は中日ドラゴンズ

監督として指揮を執り

上記の素晴らしい功績を残し

俺流野球を見せ付けた

 

 

 

 

2.史上初の三度の三冠王

 

 

プロ野球史上初となる

三度の三冠王に輝いた落合

 

 

これは未だかつて誰も成し得た事がなく

落合自身が憧れたあの長嶋茂雄でさえも

 

 

落合よりも前の世代にプロ野球界で

活躍したレジェンド達でさえも。。。

 

 

知らない方の為に説明しとくと

三冠王とは

 

 

首位打者、最多本塁打、最多打点

この三つを同時に取ることで三冠

つまり三冠王ってことです

 

 

有名な選手でも一つ取るのに

人苦労な賞を三つ同時に取り

さらにはそれを三回もやり遂げるあたり

 

 

ホント尊敬します。本物の天才です

 

 

 

 

3.代打で始まった天才の野球人生

 

 

上で散々落合さんの偉業話をしてきましたが

 

 

落合さんの野球の原点は華やかしい

 四番や怪物スラッガーではなく

 

 

代打だったんです

 

 

あれだけの偉業を成し遂げた

落合さんからは想像できませんが

 あの人は代打で全てが始まったんです

 

 

落合さんがスランプで悩んでいる時

調子のいい時悪い時全てのコンディションでも

どんな時でも同じ態度で接してくれた

恩師の存在がその裏にはあります

 

 

落合さんはこの恩師譲りの教育方針で

中日ドラゴンズを黄金時代に導きました

 

 

その当時、落合さんは

表舞台で活躍する選手

ある程度知名度のある選手だけでなく

 

 

地に埋もれ誰の目にも当てられなくなった

そんな選手を常に探しているんです

 

 

自分がそこから引き上げてもらったように

自分もそこに埋もれてる選手を助けてやりたい

こいつには才能があるのに何故

誰からの脚光も浴びられないのか

 

 

落合さんに助けられた選手は

腐るほど存在します

 

 

代打という決してエリート街道とは

違う道からスタートしたとはいえ

ここまで大成したのは落合さんの才能です

 

 

 

 

4.中日GM時代の俺流野球

 

 

アナタは中日GM時代の落合さんを

知っているでしょうか?

 

 

メディアなどは嫌われ者を悪く取り上げて

儲けようとするから落合さんの本当の姿を

知らないんです

 

 

山井の日本シリーズ史上初の完全試合の件も

マスコミに嫌われる発言や言動

アライバのコンバートもぜーんぶ

 

 

意味があってやったことなんです

無駄じゃないし無意味なんかじゃない

 

 

変わってるだの変人だの

陰口叩く奴もいるけれど

 

 

落合さんはそうして勝ってきた

 

 

「俺はマスコミの為に練習なんてしない」

そう堂々とマスコミの目の前で放った一言

心の底からカッケェと思いました

 

 

誰になんと言われようか

自分の信じた道だけを突き進む

世間に否定され続けてきた俺流は

中日を常勝軍団に育て上げてきた

 

 

あの人は監督の腕も持っているってことですね

 

 

 

 

5.落合博満の名言

 

 

「素振りを一本でも多くやった奴が勝つ世界」

 

 

「人がどうしても捨てられないものに

先入観がある」

 

 

「人は働き場を与えれば動く」

 

 

「いいんじゃない、うんと苦しめば

そんな簡単な世界じゃないよ」

 

 

 「自分は頭を下げないと

生活できないと思っているから

媚も売るし喧嘩もできないんだ。

人間、自分に自信があれば

喧嘩もするのよ」

 

 

「 良い時も悪い時も同じ態度で

接してくれた人だけ信じられんだ

そういう人と一生付き合っていきたい」

 

 

「信じて投げて打たれるのはいい

信じて投げて打たれたのならそれは結果

一番いけないのはやる前から

打たれたらどうしようと考えること」

 

 

「{まあしょうがない]と思うだけでは

しょうがないだけの選手で終わってしまう」

 

 

 

 

終わりに

 

 

いかがでしたか?

僕が尊敬してやまない落合博満さん

 

 

彼が現役時代や監督時代に

残した実績言葉

 

 

偉大な人間にしか出来ないことを

普通にやり遂げてしまうのが落合さんです

 

 

アナタにも尊敬できる選手や監督

もしくはその他関係者がいるでしょう

 

 

その人を目指して頑張っても

その人と同じ領域にしか届かない

 

 

憧れの存在を変えてやる

その勢いが大事だと思います

 

 

落合さんの言葉を信じなくてもいい

けど彼の言葉には確信があります

 

 

悩んでいるのなら信じてみるのも

一つの手かもしれませんね

 

 

 

 

今回も読んでくれてありがとう!

読者も是非是非お願いします